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更新日 2010-05-14 | 作成日 2008-03-23

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kanzaki Ltd.
本 社/建材部

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技能職の街

有限会社神崎の本社は、家匠部や住環境事業部、施工監理部が入る建物の裏手。徒歩1分もかからないほどのところ、山手の丘を背にした山裾にあります。

弊社のある麦田町は技能職の街です。背後に外国人の暮らす山手があり、貿易などで成功した方々の多くが、本牧の、今でいう三渓園あたりに住居を構えていらっしゃいましたから、立地として、そうした方々を顧客にした技能職が工房を構えるには、最適の場所だったのでしょう。

近所には大和町商店街という、600m以上、まっすぐな道が続く商店街がありますが、これは、慶応元年(1865年)に、居留地の外国人たちがつくった射撃場の跡。大和町という町名も、明治の末に、ここに開業した「大和屋シャツ店」の屋号にちなむものです。

こうしたことに象徴されるように、家具、洋服の仕立てなど欧米の文化をいち早く取り入れて発達した技能が多く集積していますが(クリーニング店なども早くから開業していました)、逆に、外国人の方が求めたからか「日本文化」に由来する技能も、たくさん集積しています。

かつては千代崎川という水利もあり(昭和38年、閉蓋され、今はコンクリートの舗道になっています)、そうしたことも技能職の工房が進出するのを手伝ったのでしょう。また、材木商も多く立地していたといいます。

確かに、昨今の状況は、往時とは異なります。しかし、今も、技能職の街であることには違いありません。同じ町内には、まだまだ小さな技能職の自宅兼工房があり、大きな材木屋さんも建材です。

外国の文化にいち早く出会った街であり、異文化を見つめながら、この日本を見つめ直した街である。私たちは、この街に操業していることに誇りに思っております。

家匠部などが入る建物のすぐ裏手です

家匠部は麦田町3丁目、本社は2丁目です


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本社(建材部)の裏手は、山手公園ということになります。

山手公園は、明治3年(1870年)、当時の山手に暮らしていた外国人たちによって整備された、わが国最初の洋式庭園です。昭和20年代までは外国人専用の公園でしたが、今は横浜市に移管されています。全国あちこちに観られるようになったヒマラヤ杉も、この公園に植えられたものがはじめとされています。

この公園の一角には、今も12面のテニスコートがあります。

これは明治9年(1876年)、やはり山手に暮らしていた外国人の女性たちによって組織され、後にレディーズ・ローン・テニス・クラブと命名されたテニスクラブ(現YITC:ヨコハマ・インターナショナル・テニス・コニュニティ)によってつくられたもので、ここが日本のテニス発祥の地であるとされています。

IMG_3827.JPG写真はテニスコートの脇にある「テニス発祥記念館」の写真です。ここから、ヒマラヤ杉に囲まれた道を上っていくと、山手カソリック教会にたどり着きます。
丘陵の傾斜を上手く使って庭園化された公園なので、神崎本社側から上っていきますと、少し階段を上っては広い場所に出て、そこで一休みしながら緑を楽しみを繰り返し、やがては山頂部にある山手の本通りに達するという感じになります。

春は桜の名所でもあります。
花見のシーズンは少しだけ喧噪としますが、それでも平日はおだやかに桜見物ができます。比較的、深い緑に覆われているので、夏場は、ちょっとした清涼感を味わうこともできます。

みなさまもぜひお立寄くださいますよう。

本社には小さな倉庫があります

現場の緊急時に即応します

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神崎の本社の1階と2階の一部は、建材や道具類のストックに充てられています。
現場、特に一戸立て住宅の建築現場などでは、ほんの少しだけセメントが足りなかった、あるいは砂が足りなかったなどの「ちょっとした誤差」によって、1日分の作業がふいになることもある…神崎では、そうした、お客様の「不測の事態」に対応するため、本社に、それぞれの建材や資材、道具類をストックしています。

建材部としての通常業務は、新山下の配送センターを中心に行っていますが、神崎は、未だ、創業の地でも「小さな建材屋」を続けています。

→ 建材部(施工監理部)webサイトへ

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ぬくもりが息づく街

変わりゆく時代のなかで受け継がれていくもの

みなとみらいの景観をはじめ、横浜都心の風情は、この10年で大きく様変わりしました。元町にも、中華街にも、昭和の薫りはほとんど感じられなくなりました。
しかし、トンネルをひとつ隔てただけなのに、このあたりには、まだまだ昭和の温もりを見つけることが出来ます。

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写真は、歩いてすぐのところにある呉服屋さんの建物です。もちろん、こうした建物は点在するようにしか残っていませんが、戦前、あるいは終戦直後から、この街に暮らし続けている方はたくさんいらっしゃいます。
最近は、こうした街に、新しいデザイン・ティストのBARやレストラン。有機・無農薬の八百屋さんなど、20代。30代の若い方々が、新しいお店を開店されるようになりました。

かつて西洋の先端文化と日本の技能が、ドキュメンタリーな人と人との繋がりによって結ばれていた街です。新しいものと古いものが出会っていくエレルギー、それこそがこの街の栄養源になるはずです。

これからが楽しみだと思っています。

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