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GRAND ENCOUNTER

馬上にビロードのマントを羽織って現れる…TVドラマなどで、しばしば描かれる織田信長のイメージです。

しかし、南蛮を流行のファッションとして取り入れたのは、なにも信長だけではなく、あの堅実そうな家康も欧州製の甲冑を所有していましたし、毛利元就が拡充した厳島神社の社殿には、欧州ルネサンス様式の影響があるという学説もあります。

一方、民間でも、南蛮屏風、南蛮絵図といった欧州からの輸入絵画、その複製品などがもてはやされました。海外に飛び出していった日本人も多く、東南アジアを中心に各地に貿易拠点となる日本人居留区を築き、中には現地の王朝に重用される人物も現れるほどでした。
(カンボジアのアンコール・ワットには、当時の日本人の落書きがあることが知られています。)

 

つまり、江戸時代が始まる前から、わが国は海外の文化、特に欧州の文化と積極的に交流していたということです。

そして、当時、欧州文化移入の窓口となったっていたのが「泉州堺」、現在の大阪府堺市です。

侘茶の様式や「茶室」の空間を確立した千利休も、この「泉州堺」で活躍した豪商でした。そして、この利休の系譜に連なるのが、江戸時代になって確立される数寄家という様式。あるいは小堀遠州などによる建築、作庭の様式です。

利休は、当時の堺にあって、何を見て、何を感じたのか…茶道という視点からは、見落とされがちなことですが、欧州発祥とされるモダン・デザインと「和風」の相性の良さは、案外、こうしたことに隠されているのかもしれません。

 

>> SIMPLEということ